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デヴィ夫人のハーフ顔はなぜか理由は?若い頃のきれいな画像をチェック!

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今やお茶の間の人気者・デヴィ夫人。ハーフ顔なのはなぜなのでしょう?デヴィ夫人の若い頃は相当きれいだったというのは本当なのでしょうか。デヴィ夫人がハーフ顔であることやスカルノ大統領との出会い、整形疑惑に至るまで、いろいろと調べてみました。また、デヴィ夫人が若い頃はとてもきれいで、あの女優とそっくりだったといううわさもあります。今回はデヴィ夫人のいろいろについてじっくりとご紹介します。

デヴィ夫人のハーフ顔はなぜ?理由は?

引用:http://yaziumanituki.seesaa.net

バラエティ番組で大活躍のデヴィ夫人。現在80歳というお年ですが、若い頃は相当に美人だったといいます。また、ハーフ顔のデヴィ夫人ですが、実際のところはどうなのでしょうか。英語が堪能なことや、「デヴィ」というお名前から、ハーフかと思われますが、実はご両親ともに日本人で、純日本人です。また、生まれも育ちも日本です。

ただし、国籍は日本ではなく、インドネシアです。少しややこしいですが、インドネシアのスカルノ大統領とご結婚されたことで、インドネシア国籍になり、スカルノ大統領が亡くなられたあとも、そのままインドネシア国籍のままということになります。

デヴィ夫人は、1940年2月6日、お父様である兵七郎さんとお母様である政子さんの間に生まれました。お父様は、東京都麻布で大工の棟梁をされていたそうで、なかなかのイケメンだったそうです。また、お母様は、近所でも有名な美人だったといいます。デヴィ夫人は、お二人のいいところを受け継いで生まれてこられたようです。

デヴィ夫人の若い頃のきれいな画像は?

引用:https://mikansan.xyz/

今でも上品な美しさを保っておられるデヴィ夫人ですが、お若い頃はさらに美女として有名だったようです。お若い時から有名人でしたので、当時のお写真がたくさん残っていて公開されています。「女優さん」といっても通用しそうな美人でいらっしゃいました。

お若い頃は、女優の加賀まりこさんと似ていると言われています。加賀まりこさんもお若い頃は相当な美人として有名でしたが、その加賀まりこさんと似ていると言われていたということですから、デヴィ夫人も相当な美人といえます。

他には、女優の夏純子さんとも似ていたといわれています。三人とも目鼻立ちのはっきりとした日本人離れした美女でいらっしゃいます。ちなみに、スカルノ大統領と結婚される前のお名前は、根本七保子(ねもと なおこ)さんでした。現在のお名前は、ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノです。

デヴィ夫人は整形していた?

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お若い頃は「東洋の真珠」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だったデヴィ夫人。デヴィ夫人が、純日本人であるにも関わらず、これだけ美人でハーフに見えるということから、「整形をされているのでは?」といううわさが立ったことがありました。

戦後まもなくにも美容整形はあったといいますから、デヴィ夫人もその美容整形を受けたのではないかという疑惑があります。デヴィ夫人がまだ学生だったころの写真を見ると、二重まぶたがやや不自然に見えるものもあります。

こんなことからも、デヴィ夫人は整形をしていたのではないかというのです。ただ、他の制服姿の写真などを見ると、いわゆる「美少女」という感じです。加えて、デヴィ夫人が高級クラブで働いていたころ、仲間の女の子たちは、「私もデヴィのような顔にして」と美容外科を訪れた方もいらっしゃったそうです。

総合的に考えると、デヴィ夫人は若い頃、整形をしたという可能性は低いようです。ただ、デヴィ夫人自身が美容整形を認めたという情報がありました。こちらは、お年を召して、アンチエイジングのために美容整形をされたというものでした。いつまでもお若く見えますが、人知れず努力やお手入れをされているということのようです。

デヴィ夫人の若いころの仕事はホステスやコールガール?

引用:https://asuka-shimizu.com/

インドネシアの大統領・スカルノ大統領とご結婚されたデヴィ夫人。今も、デヴィ夫人のご自宅には、スカルノ大統領と一緒に撮影されたお写真が大切に飾られているといいます。デヴィ夫人は中学卒業後、生命保険会社に就職されました。

お勤めをしながら定時制の高校にも通われていましたが、デヴィ夫人が16歳のころ、お父様が他界され、会社も高校も辞めてしまわれ、アルバイトをされるようになります。17歳のころには、ご実家を出られ、赤坂にある高級クラブで働き始めることになります。さらに、18歳のころ、常連のお客さんから、会わせたい人がいるといわれ、その高級クラブも辞めることになります。

そして、19歳のとき、スカルノ大統領の愛人としてインドネシアに渡ることとなります。さらに、22歳のころ、スカルノ大統領の第三夫人として正式に結婚をされました。25歳のときには、スカルノ大統領はクーデターによって失脚。デヴィ夫人は日本に亡命しようとされますが、失敗。フランスへ亡命されることとなりました。

27歳のころ、日本への亡命が許されることとなり、長女であるカリナさんを出産されます。カリナさんを連れ、インドネシアに帰国しようとされますが、それが許されることはありませんでした。30歳のころ、最愛の夫であったスカルノ大統領が死去。このころから芸能活動をスタートさせ、男性誌に写真を掲載されたりされるようになります。

40歳のころ、ついにインドネシアに帰国されています。このとき、娘であるカリナさんを置いて帰国されています。このことがカリナさんにとってはショックなことだったとのこと。後々までの確執のもととなりました。

50歳のころ、肌の露出の多い大胆な写真集を発売。インドネシア国内では大きな問題となり、このことが原因でデヴィ夫人はインドネシアには行けなくなってしまったといいます。その後は、ニューヨークへ移住。国連の特別顧問として活動をされることとなります。

2000年以降は、活動の拠点を日本に移され、テレビなどで活躍をされることとなります。65歳のころ、カリナさんの結婚式に出ることを許されたデヴィ夫人でしたが、それは母親としてではなく、一般ゲストという扱いでした。現在は、孫も生まれ、娘さんとの確執も解消されたということです。

デヴィ夫人とスカルノ大統領との出会いと結婚は?

引用:https://orionfdn.org

高級クラブ「コパカバーナ」で働いていたデヴィ夫人とスカルノ大統領が出会うきっかけとなったのは、当時インドネシアを相手に事業を展開していた、東日貿易という会社の久保正雄さんだったといいます。彼の仲介によって、「コパカバーナ」を辞め、スカルノ大統領と出会うこととなったのです。

デヴィ夫人が20歳のころのことでした。愛人となる女性を求めていたスカルノ大統領に、当時知り合いであった久保正雄さんがデヴィ夫人を紹介したということのようです。


デヴィ夫人の元恋人とは?

引用:https://www.excite.co.jp

デヴィ夫人がお若い頃、高級クラブで働くきっかけとなったのが、ジェームズ・ベッカーというアメリカ人宝石商だったといいます。彼が、デヴィ夫人を高級クラブ「コパカバーナ」につれて行ったことで、働き始めるようになったというのです。

デヴィ夫人は当時のこと振り返って、このアメリカ人宝石商ジェームズ・ベッカーさんが、「着せ替え人形のように私のことを着飾って、どこへでもつれて行ってくれた」と語っておられます。そして、デヴィ夫人は彼と一緒に表参道にあった高級マンションで生活をするようになります。デヴィ夫人が17歳のころのことでした。


デヴィ夫人のプロフィールは?

引用:https://news.mynavi.jp

名前:デヴィ夫人
本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
生年月日:1940年2月6日
年齢:80歳
身長:159cm
血液型:A型

デヴィ夫人のハーフ顔はなぜか理由は?若い頃のきれいな画像をチェック!まとめ

ハーフ顔で有名なデヴィ夫人ですが、お父様もお母様も日本人という純日本人であることがわかりました。お若い頃は、「東洋の真珠」と呼ばれ、女優の加賀まりこさんと似ていると言われています。若い頃は、高級クラブで働いておられ、その常連客に引き合わせられる形でスカルノ大統領と出会うことになります。娘さんとは紆余曲折がありましたが、今は仲の良い母娘の関係になっています。